05月01日
最近、ふと考えることがあります。
同い年の人たちと話していると、感性の違いを感じる場面が増えたなと。
「もしかして、私ってもう古いタイプの人間なのかな…?」なんて思うこともあります。
とはいえ、私も2000年代生まれの世代です。
だからこそ、余計にその違和感を強く感じるのかもしれません。
これは、性やSMといったテーマに限った話ではなく、もっと日常的な人間関係の中でのことです。
たとえば──
普段の態度や行動が周囲にあまり良く思われていないのに、何か不都合があると「自分だけ不遇だ」と感じてしまう人。
人の話を素直に受け止められず、すぐに屁理屈や言い訳が出てきてしまう人。
もちろん、誰にでもそういう一面はあると思います。だけど、それがあまりにも多く感じられてしまうと、「ちょっと違うな」と思ってしまう自分がいます。
今日はその中でも、特に気になっていることをひとつだけ書いてみようと思います。
それは「恋愛における蛙化現象」について。
※知らない方はぜひ一度調べてみてください。
蛙化現象という言葉の意味は理解しています。
でも、正直なところ、私はあまり共感できません。
「いくら好きでも蛙化しちゃう〜」なんて言葉を聞くと、私の中では「それって浅い恋愛だっただけなのでは…?」という思いが浮かんでしまうんです。
相手に対して「こうあってほしい」という理想が強すぎると、その人の弱さや未熟さが見えたときに、急に冷めてしまう。
その感情の変化を、ひとことで「蛙化」と呼んでしまっているだけなのではないかと感じます。
でも本当に「好き」なのであれば、そういった弱さも含めて、その人の一部として受け入れていけるはず。
むしろ意外な一面や不完全なところにこそ、人間らしさや愛しさがあるのではないかと思うのです。
恋愛に限らず、友情においても同じです。
お互いの弱さや未熟さを知った上で、それでも一緒にいたいと思える関係こそが、信頼を深めていくのではないでしょうか。
もちろん、便利な言葉や概念に頼ることで気持ちが少し楽になるなら、それもひとつの方法ですし、現代の豊かなツールやサービスは私自身もよく使います。
けれど、人と人との関係──特に男女の関係においては、そう簡単に割り切れない、時間をかけて育てていくものだと私は思っています。
少し遠回りかもしれませんが、そういう付き合い方を大切にしていきたい。
そんなふうに感じている、23歳のしいなでした。