07月25日
あまりに暑いと外出するのが億劫になってしまい、読書が進みます。
真面目な悪い子の読書にお勧めな本のご紹介。
エロティシズムを研究した哲学者ジョルジュ・バタイユが書いた小説集「聖なる神」の第二部『わが母』という小説。
第一部で女性の持つ最も穢れた性質だと思われる娼婦性に聖性を見出し、第二部では母親が清く正しい息子を放蕩生活に引き込むという最も貴いと思われた母性を冒涜的に描いています。
キリスト教においては、性的な快楽は罪であり、自慰行為も罪、同性愛も罪、近親相姦なんて大罪だし、そもそもいやらしいことを妄想するのだって罪な行為なのです。
ちなみに、サディズムの語源にもなったサド公爵は娼婦に媚薬を飲ましアナルセックスを伴う乱行をしたため投獄されていました(決行されませんでしたが、判決は死刑)
キリスト教を熱心に信仰している主人公は、酔いどれの父親が亡くなった後に、母親が極めて堕落しきった女であることを知り、母親のことは大好きだし、乱痴気騒ぎも楽しそうだけど、罪の意識に苦悩し、その様子や心情が書き綴られたお話しです。
穢れなき無垢な存在を穢したいというのが、究極のエロスだと感じる私には堪らなくエロティックな作品です。
背徳に足を踏み入れる時の罪悪感が強いほど、より快楽を掻き立てるところも描かれていて、敬虔なキリスト教徒がマゾヒストになりやすいのも納得させられます。
私が好きな母親の台詞を引用。
「知性の快楽こそは、肉体の快楽よりも不潔で、いっそう純粋で、その刃がけっしてさびつかない唯一のものです。退廃はわたしの目には、そのまぶしさに命を奪われる、精神の黒い輝きのように思えます。堕落は万物の奥底に君臨する精神の癌です。堕落するにつれて、わたしの理性はますます冴えわたります」
肉体的快楽だけではなく、知的探究心を求めているところも魅力的です。
立派なことを言っているように思えますが、レズビアンのお友達との乱痴気騒ぎに息子を誘ったり、自分の快楽を満たすために、素質のありそうな女の子をどんどん自分の世界に引きずり込むのですが、その手練手管も見事で惚れ惚れします。
母の旅立った後に登場する女性も、鞭を振るうし、お小水飲ませるの好きだし、マゾ男目線でも興奮要素が満載です。
この作品を三島由紀夫が「堕落の教養小説」と褒め称えたのも納得です。
写真はパリのサマリテーヌ百貨店🇫🇷